松風蘿月

ショウフウラゲツ

永の一日—序にかえて—

 

 

何事も「始まり」を記すことが一番難しい。というのも、始まりの「始まり」であるところの「私」という実存そのものの始まりが明確ではないからである。「私」というところの私とは、そもそも何処から起を発しているのか。私が「私」であると思うに至ったところからなのか。すると私を「私」と思う以前の「私」とは何か。私を「私」と思う以前の「私」は「私」ではないのか。この世に生命を受けた時点からが「私」であるとするならば、それは厳密にいえばどの時点からだと言えるのか。

 

このように考えていくと、「私」という実存そのものが危ういものであると考えられる。「私」と思うに至った「私」とは、その時点で既に生まれたままの私ではない。その時点で既に修得した言語、習慣、価値観等によって造化されている。このように後天的に造化されていくところの「人間」である「私」は、同一の存在であるようでもあり、様々に変幻する存在でもある。

 

実体のない「私」が、ある時点から特に何かに注意を向け、「それ」について思い続けている。「それ」から気を反らすことができないわりには、時々において、そのことを特に言語化することについて「時期ではない」と思いもする。そして、「それ」が何かということを薄々感じてはいるものの、「それ」を明確にすることすらも畏れている。

 

おそらく「それ」は生命に近いところにあるのだろう。

おそらく「それ」なくしては、「私」もなくなってしまうのだろう。

 

「それ」というのは「人間」である。

 

このような考え方、認識のあり方について、どのように言語として説明できるだろうか。例えば、幼少期より曖昧模糊とした想念を弄んでいるようにも思えたものが、後年それが自身の中核に近い部分を占めていると、気づかされるようなことについて。

 

「人間」とは何だろうか。

 

これまで身近にいる者は誰もそのことを口にしないばかりか、疑問にも思っていないふうだった。幼心に特にそれが不思議でならなかった。

 

「人間」はこの世界に存在すべきだろうか。

 

存在すべきでない理由なら無数に挙げられるように思えるが、その逆をいうことは極めて困難なことのように思える。
だとしたら、潔くその存在を抹消すべきなのだろうか。
そのように思うとき、例えば慕っている祖父母や、世話になっている親に対し、それを強要できるだろうかと考えると、それはできない。
私が私の命を絶つということは、親や兄弟の存在を危うくするかもしれないと思い、そうすることもできない。

 

そして、そもそも「私」は両親から生命を授かったのかと考えると、それはそうだとも思えるが、そうでないとも思える。
この生命は、「私の」生命と表することができるものだろうか。
このように考えるにおよび、私が「私の」生命を絶つと考えることは、潔いというよりは、短絡的であり、傲慢でもあるという気がした。

 

二〇代のある時、同じことを考え続けているという人に偶然出会った。彼女は、こうしたことを考えることを止めたいと口にした。止めればもっと楽に生きられるのではないか。それに対し私はこのように答えた。一度考え始めたのなら、それを棄てることは自分ではなくなることだ。考え始めたのなら、考え続けるしかないのではないか。

 

その気持ちは今も変わらない。

 

私が言葉もままならない頃から思い続けていることは、人間とは何か、ということらしかった。

 

 

何かについて、「初めての出会い」と特に表することがある。
生まれて間もない幼子であるならばともかく、歳月を経た大人が「初めて」もないものだ、と思いもする。
人が特に「初めて」と思うとき、それは自分の経験にないものに行き当たったことについて、そのように言うものらしい。
ものが見え、歩き始め、言葉を発した「初め」について、人間は自らのことでありながら知る術がない。本来、「初めて」というべき経験は暗中に没し、自らの手には届かないところにある。後天的に身につけた経験の中にない、ということを「初めて」であると認識する。

 

私は数年前、吉田松陰という人物に初めて出会った。

この言い方は正確ではない。

私は吉田松陰という人物との出会いを通じて、『初めて人間に出会えた』という気がした。それは私にとって、過去を覆されたかのような大きな出来事だった。

 

吉田松陰は、生誕地において没後一五〇年以上を経た現在でも「先生」という敬称を用い親しまれている。先生に関する多くの書物が出版されているが、先生の全身像を表すことは極めて困難なことのように映る。随分な誤解や曲解を受け、善人とも悪人とも、狂人とも評されている。最後には激するあまり、筆先の震えを感じるようなものが、思いの外多く存在するように思える。そうした感情の動きについて、思い当たることがある。私は先生に関する書物を見る度に思う、先生を語り尽くすことなどできはしない。

 

私は、吉田松陰のことを聖人とも教育者とも、革命家であるとも思わない。先に記したように、私は先生のことを、『人間』であると感じ、それは変わることはないだろうと思う。

 

ここで「始まり」を示すことが必要であるのならば、私はそのことについて書き綴っていきたいと思っている。そのこと、とは、何故先生のことを、初めて出会った—『人間』だと思うかということである。その暁に何等の結論も予期することすらできないばかりか、書き続けることすらも困難であるように思える。しかし、それでもなお、僅かでも書き記したいと思う理由は、先生のことを「語り尽くす」ことに何等かの意味を置いているわけではなく、語り継ぐことの一端を担いたいと思うからでもあり、それと同時に、語り継ごうとする人間の所在を明らかにすることを試みてみたい、と思うからでもある。

 

私は最近、現在、過去、未来は直結しているように思えてならない。

吉田松陰は過去に生きた人だが、現在、未来を生きる存在でもある。

 

そもそも人間というのは、何処に生き、何処に存在しているのだろうか。この自分の抱える身は、僅かな食餌を得、睡眠を取り、生活し生きながらえている存在である。しかしそれが人間の全体ではない。自身の存在の底流には自身の存在を基底づける、言うなれば春の小川のような流れがあり、それが「私」に生命を与えてくれているのだ、と感じる。

 

春というのは不思議な季節である。
生命の痕跡すら殆どなくしてしまった冬から、どのようにして春が生まれるのだろうかと思う。

 

私は最近思うのだが—、冬の次に来る季節が春、ではないのではないか。恐らく全ての季節は春の名残なのではないだろうか。

 

二〇一六年の春、先生の墓標の周辺を、満開の桜が彩っていた。私は網膜に映るそれらを—、名残雪のようにも見える、淡い薄紅色の桜の花弁を—見つめながら、「その時」が来たと思うに至った、ということを、とりあえずの「始まり」とする。

 

 

二〇一六年九月 雨を呼ぶ風を受ける日に