松風蘿月

ショウフウラゲツ

落花有意随流水、流水無心送落花

 

時々、気掛かりに思うことが生じる。

気掛かりに思うことが身に迫り来るように感じられるのは、特に人生の岐路に立ったと思う局面にあることが多い。人生、という言葉は若輩者の私の身に余るから、あまり使いたくはない。しかし病身の幼子を見ていると、特に幼い子供たちはごく自然に易々と、その局面を通過しているようにすら思える。死を予期した幼子の瞳は澄み切っている。生後数年を経たばかりの幼い身にすら、人生というものはありありと映るように感じられる。

 

最近ある人物の夢を見て、以来気掛かりに思っている。

その人は、「気掛かり」について興味深い言葉を残している。

 

要約—
 昔本所にきせん院という行者がいた。当時流行していた富籤の祈祷がよく当たると評判で、実父がその行者と親しくしていた間柄でもあり、しばしば足を運んでいた。行者は後に取り締まりを受け、末には落ちぶれた。零落の後も見舞いにと訪れたある日、行者は一つの挿話を語り始める。

 

原文—

 彼はおれに向ひ、
 「貴下はまだ若いが、なかなか根気が強くつて末頼母しい方だによつて、私が一言お話しをしておきますから、是非覚えて居て下さい。必ず思ひ当たることがあります。一体、私の祈祷が当たらなくなつたに就いては、二つの理由があります。一つの理由は、或る日一人の婦人が、富の祈祷を頼みにやつて来ました。ところがそれが素敵な美人であつたから、覚えず煩悩に駆られて、それを口説き落とし、それから祈祷をしてやりました。ところが四、五日すると、その祈祷に効験があつて、当籤をしたと言つて礼に来ましたから、またまた口説き掛けると、彼の美人は恐ろしい眼で睨みつけ、”亭主のある身で不義な事をしたのも、亭主に富籤を取らせたい切な心があつたばかりだ。それに又候不義を仕掛けるなどとは、不届千万な坊主めが”と叱つた。その眼玉と叱声とがしみじみ身にこたへた。それから今一つは、難行苦行をする身であるから、常に何か生分のある物を喰つて、滋養を取つて居ましたが、或る日の事、両国で大きなすつぽんを買つて来た。ところが誰も怖がつて料理をする者がないから、私が自分で料理をせうとすると、彼のすつぽんめが首を持ち上げて、大きな眼をして私を睨んだ。私はなーにと言ひつつ、首を打ち落として料理して喰つて見たが、しかし何となく気にかかつた。この二つの事が、始終私の気にかかつて居て、祈祷もいつとなく次第に当たらなくなつたのです。それといつて、何もこの二つがたたるといふわけでもあるまいが、つまり自分の心に咎めることがあれば、いつとなく気が餒ゑて来る。すると鬼神と共に動くところの至誠が乏しくなつて来るのです。そこで、人間は平生踏むところの筋道が大切ですよ」と言つて聞かせた。

 この話を聞いて、おれも豁然として悟るところがあり、爾来今日に至るまで、常にこの心得を失はなかつた。全体おれがこの歳をして居りながら、身心共にまだ壮健であるといふのも、畢竟自分の経験に顧みて、いささかたりとも人間の筋道を踏み違へた覚えがなく、胸中に始終この強みがあるからだ。この一個の行者こそ、おれの一生の御師匠様だ。

 勝海舟 『氷川清話』、「きせん院の戒め」 

 

彼が何を豁然と悟ったかについては記されていない。尚且つ、ここで記されている「気掛かり」は「気が咎める」ことであるが、私の言う「気掛かり」はそれとはまた意を異にする。この人物に対し私の気が咎めるところがあるかと言えば、それは当然のことながら、思い浮かばない。

 

気掛かりとは、妙なものである。

特に、人生の岐路に立ったと思う瞬間に、人間は身の安全、保身ということを直ちに考えてしまうような気がする。それは自己保存の本能がそうさせるのかもしれないが、気掛かりの多くは、それとは全く方向を違えたところに存在することがままある。何故か心引かれる、と思うところの牽引力は、計り知れないものがある。

 

私はこれまでの自分を顧みて、その「気掛かり」に向かうという選択をした時、後に何か事があったにしても後悔はなかった。寧ろ下手に安全工作を図ろうとした時にこそ、悔いが残った。

 

私がここ数年、自身の経験したことは、ある「気掛かり」に根を発している。自分自身の選択として、「気掛かり」から眼を背けることも、遠ざかろうとすることも自在である、そう人間は思っている節がある。しかし、「気掛かり」を捉えたのは他ならぬ自分自身であり、「気掛かり」を感じたとき、既に身はそこに生じているのではないだろうか。

 

現在地というのは、おそらくは地図上に存在しない—そのように思われてならない。

 

 

二〇一三年秋、下田を旅した。

 

契機となったのは、母の病である。これが永の別れになるかとも思えたが、幸いなことに、後に殆ど後遺症も残らぬ程に回復してくれた。以前から母は、実子と旅したいと思っているふうであったため、それまで何かと理由をつけ先送りしていた母への孝行を、実行に移すことにした。

下田は、母が幾度となく口にしていた土地だった。

若い頃の思い出があるようだったが、連れて行って欲しいとは言わないのが常だった。それで、行き先を決めた。

 

それまで下田は、私の地図上にはなかった。

その他の土地も、私の地図上にはなかった。

旅するには、何れの土地も遠くあった。

 

学問を蔑ろにしていたから、歴史にも疎かった。

 

下田の宝福寺に勝海舟山内容堂の謁見の間が復元され、海舟と容堂の、坂本龍馬脱藩罷免に纏わる逸話が残されており、それを興味深く思った。開国記念館で、吉田松陰の下田韜晦を知った。海舟は華々しく、龍馬は何故か近しく、松陰は忘れ難く思った。

 

ここ数年の私の「気掛かり」は、そこに根を発するかと思えば、実はそれ以前にも遡るようだった。それは今はここに記すことはできない。

 

勝海舟に焦点を当てると、下田に残る逸話というのは以下の通りである。

 

一八六三年一月、軍艦奉行並の海舟は、軍艦順動丸で江戸へ向かう途中、悪天候のため下田に寄港投錨した。その時前年に門下生となっていた坂本龍馬も同船していた。海舟四一歳の時である。折しも期を同じくして下田に逗留していた土佐藩山内容堂より酒宴の招待を受け下船、宝福寺で容堂と対面した。拝謁の挨拶の後、龍馬脱藩罷免を願い出た海舟に対し、容堂は交換条件として大杯の酒を干すことを提示、海舟は下戸であったが、それを受けた。酒を干した後、酒席で事が有耶無耶になるのを恐れた海舟は、証拠となるものを容堂に要求、容堂は手近にあった白扇に「歳酔三百六十回、鯨海酔候」と書き付け海舟に手渡した、というものである。

この容堂からの条件として提示された、酒杯に纏わる逸話は、後の創作である可能性もある。しかし創作であったとしても、それが二人の人物像を歪めるものではなく、寧ろ際だたせる効果があることに興味を覚える。その場の情景が、煌びやかにして現実味をもって浮かぶのである。

 

当時脱藩者は、藩政によっては死罪にも成り得た。藩政に横槍を刺すような海舟の要求は、容堂にとって面白くもなかったに相違ない。その要求を表明した海舟の胸の内も、平坦ではなかったと想像する。しかし酒杯を介した軽妙な遣り取りと、間にある龍馬の存在感が、その会見により立体感を付与している。その邂逅は、歴史を身近に感じ、人物が大きく思えた瞬間であった。

 

私は政治や経済にも疎く、またそれらを忌避していたから、下田で勝海舟の逸話に触れても尚、海舟はどこか遠くに感じていた。然りとて、容易に忘れ去る事もできなかった。

 

夢に見た—という拙いきっかけを機として、海舟に関する書籍を読み始めた。大言壮語との評もある氷川清話、海舟座談等に、その印象はなかった。もしもそのような印象を受けるのだとしたら、それは彼の思考の癖ともいえるものが、そうさせるのではないかと思う。彼の癖字に現れているように、要点を拡大解釈し、端々は大胆に端折るといった彼の思考の型が、独特の語りをさせているように思える。

 

維新後の三〇年を見届けると約束した、と語る彼には、人間としての厚みと重みが備わっているように感じられる。約束に主語はない。誰と約束したのかは、明かされていない。しかしそれは言わずとも解るような気がし、尚更そこに、人間の温かみを感じる。

 

 

明治廿五年四月十一日、即ち慶応三年戊辰三月十五日より経ること実に廿五年。当時の情形を回想すれば、全都鼎沸し殆ど乱麻のごとし。この日余は品川の牙営に至り参謀に就く。諸士論ずるところあり、しかして西郷・村田・中村数氏、皆既に泉下の人と為れり。余独り無用老巧の身をもって瓦全し今に至る。人事の思議すべからざることかくのごとく、悵旧の情に勝へず。因りて絶句を賦す。

 

皇国一大府 此中無辜民 如何為焦土 思之独傷神
八万幕府士 罵我為大奸 知否奉天策 今見全都安
義軍勿嗜殺 嗜殺全都空 我有清野術 傚魯挫那翁 
官兵迫城日 知我独南洲 一朝誤機事 百万化髑髏

 勝海舟 『氷川清話』

 

一人の人間が確かに存在し、その痕跡をありありと後生に伝えている。その事がどれほどの大きさを持つのか、今更ながらに思い知らされる。

 

思うに、人間が存在し生き得る場所は、一つしかないのではないかと思われてならない。その「時」やその「場所」は各々が見いだしていくものなのではないか。一つ—というのも、それはただ、個人の中に存在し得るものでありながら、人間はそこに生じ、そこに還るばかりであると思われるのである。

 

 

氷川清話 (講談社学術文庫)

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海舟語録 (講談社学術文庫)

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新訂 海舟座談 (岩波文庫)

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氷川清話 夢酔独言 (中公クラシックス)

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勝海舟のすべて

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